HOME鉄道旅行記第1章 第2章 第3章 第4章 第5章 第6章

さようなら、夜行オホーツク&ふるさと銀河線の旅

第3章 帯広まで ―ふるさと銀河線 その1   2006年2月19日

 

 

北見駅はふるさと銀河線が分岐している。北見運転所や貨物ターミナルもあって、石北本線の主要駅である。駅舎は1980年代、まだ国鉄だった頃に新築されたもので、外観は新しいが、コンコースと仕切られた広い待合室やボックスの並んだ改札口など、昔ながらの北海道の国鉄駅が色濃く残っている。

▲三角屋根が目立つ北見駅正面。

▲北見駅の横にちほく高原鉄道の本社がある。

北見から乗る「ふるさと銀河線」とは池田から北見までを結ぶ路線で、かつては池北線といってJRの路線であった。全通したのが1911(明治44)年で、石北線の開通よりも早い。

1980年代に廃止候補の路線にあげられ、道内の多くの路線がバス転換されたのに対し、池北線は地元の熱意で第3セクター方式として鉄道を存続させることが決まった。1989年のことである。

▲待合室の立ち食いそば。

▲コンコースにあるふるさと銀河線の券売機。

▲「北海道ちほく高原鉄道株式会社」の社名。

自分がこの路線に乗車するのはJR池北線時代に2回、第3セクター転換後に3回あり、今回で6回目の乗車になる。いずれも通しで乗り、乗ること自体が目的であり、用事があって乗ったことは1度も無い。

延長140kmのこの路線は乗車時間も長く、沿線にこれといった観光地も無い。車窓も格別の見所があるわけでもない。本当に地元の生活路線である。

道内のフリーきっぷ等では乗れず、鉄道ファンでも無い限り、この路線にわざわざ乗りにくる旅行者は少ない。

反面、観光客や鉄道ファンがほとんどいないので、静かな路線だった。地元の人に混じってのんびりとした列車に揺られるのが好きだった。もう何年も前から廃止の噂が流れていたが、Xデーはまだ先のことだと思っていた。

 

一時期、札幌からの特急を、高規格化した「ふるさと銀河線」経由にして高速化する構想があった。また、CTC導入や、SL列車運転など明るい話題もあったが、鉄道存続への打開策にはならなかったようだ。

乗客は増える見込みも全くなし。高速道路は年々延伸される。鉄道が存続しなければならない理由はもはや無くなってしまった。そして昨年3月についにXデーが決定した。

 

2006420日を最後に、1911(明治43)年以来走り続けてきた、北見・池田間の鉄道は96年の歴史に幕を下ろす。

銀河GOGO往復割引きっぷ

みどりの窓口で帯広までの「銀河GOGO往復割引きっぷ」というのを買う。北見から帯広への往復割引きっぷで、値段は6500円。機械発券ではなくて、引出しからこの券を取り出してきた。北見から帯広へ列車で往復する人は少ないだろうから、あまり売れていないようだ。

▲北見駅2番線で発車を待つ。

▲快速「銀河」号は、「999ホワイト号」だった。

帯広行快速「銀河」号は、松本零士の「銀河鉄道999」のイラストが描かれたラッピング列車だった。ラッピング列車は2両あって、この列車は「999ホワイト号」メーテルの髪が白いのである。もう1両は「999イエロー号」で、どこを走っているのだろうか。

 

ふるさと銀河線の列車は基本的に1両で走る。この列車も1両のみで帯広まで行く。車内は旅行客や鉄道ファンがほとんどで、各ボックスに2〜3人くらい乗っている。本州方面からの人が多いようだ。乗客の年齢層はやや高め。学校が春休みになれば、最後の乗車にやってくる人も増えてさらに混雑するだろう。

▲次の駅を石北本線とふるさと銀河線の両方表示。

▲快速銀河の行先表示。

▲車窓は白い北見平野。

920になり、北見駅を発車する。5分ほどで北見市内の住宅地は途切れ、北見盆地の雪原の中を80?/hで力走する。最初に停まる駅が上常呂で、駅前に大きな団地が建つ。次が訓子府で、ここでは北見行の列車と交換する。単線なので駅構内の複線部分で上下の列車がすれ違う。

北見近郊区間は乗客もそこそこあって、坦々とした風景の中を走る様は、富良野線とそっくりだと思う。

 

置戸で数人乗ってきて、車内は立つ人も出てきた。置戸を出ると釧北峠越えるため、列車は山の中に分け入って行く。エンジンを唸らせて4050km/hの速度で急勾配を登る。平行する242号線の車に追い抜かれる。車を停めて列車を撮影してる人もちらほらと見られる。釧北峠を通過すると今度は下り勾配を駆け下りる。人家が見えてくると小利別に着く。置戸から15.9km18分で走って来たのだが、この間人家は全く無い。ここでも旅行客が数人乗ってくる。

▲訓子府で北見行と交換する。

▲無人の山間部をひたすら行く。

このあたりは最低気温が−20度台まで下がるのはいつものことだが、今日はプラスまで気温が上がる見込みである。

6年前の2月に北見発の朝一の列車に乗った時、窓ガラスは全て真っ白になって凍りついていた。削ってもすぐに霜が降りる。暖房もさっぱり効かず冷え切った車内で窓ガラスの霜を削り落としながら外を見ていた記憶がある。その日はおそらく気温は−20度台であったのだろう。

 

陸別を過ぎると、何度も利別川の鉄橋を渡る。川面は氷結して白くなっている。

▲999ホワイト号の車内。

▲昔ながらの駅舎の境野駅。

▲昔ながらの駅舎が残る境野駅。

▲凍りついた利別川。

▲木造駅舎にイラストが入る上利別駅。

▲足寄で北見行と交換。こちらが先に発車。

大誉地は木造駅舎が残っている。ここで旅行客10人ほどが降りて行った。

足寄で池田から来た北見行と交換する。あちらは増結して2両編成になっている。足寄で帯広まで行くらしい地元客が乗ってきて、車内はほぼ満席になる。

JR池北線時代の足寄駅。(1989)

多くの駅には、近くに木材工場があり、丸太が山のように積んであったりする。木材輸送でにぎわった時代もあったのだろう。現在ふるさと銀河線は貨物輸送をしていない。

本別でもさらに乗ってきて立ち客も何人か出てきた。この快速「銀河」は、数少ない帯広直通列車なので地元の人の利用も多い。

「いっつもこのくらい混んでいれば、良かったんだけどね」と本別から乗ってきた乗客がつぶやいた。

▲池田駅での入替え作業。

▲滝川行の後ろに連結する。

▲連結された列車。

根室本線の立派な線路が寄りそってきて、1142に北見を出てから2時間22分、池田に到着した。池田で降りる人は半分くらい。残りは帯広まで乗り通す人である。池田で降りる人は前ドアで運賃を払って精算券を受け取る。

このまま乗る人はどうなるのかというと、後ろのドアから別の係員が乗ってきて、車内をまわる。池田までの運賃はここで支払って精算券を受け取り、池田から帯広までのJR運賃は帯広で払ってくださいと説明している。

 

首から鞄を提げた係員が車内をまわっている間に、この車両は一旦ホームを離れて駅構内のはじまで移動する。この列車は浦幌から来る列車の後ろに連結しなければならないので、一旦本線から避けなければならないのだ。ふるさと銀河線から直通する列車はこのような面倒な入替え作業が必要となる。朝の足寄発の直通列車だけはJRの車両が使われるのでそのまま直通する。

▲はるか遠くにある銀河線専用ホーム。列車は陸別行。

▲陸別行「999イエロー号」と昔のままの駅名標。

入替え作業が終わると、やっとホームに出られる。発車は1200なのでまだ少し時間がある。10両編成の特急が発着するホームのはるか彼方に、ふるさと銀河線専用ホームがあって、陸別行の列車が発車を待っている。陸別行の車両は「999イエロー号」ラッピング列車のもう1両の方である。ちょうど「999」号が2両そろった格好になるが、2つの列車はあまりにも離れた場所に停まっているので、2両そろった写真を取ることは出来なかった。

▲専用ホームはホームの一番はじっこにある。

▲池田からは高規格の根室本線を行く。

▲帯広に到着。

列車は池田駅を今度は反対方向に動き出す。2両編成になったので車内はだいぶ余裕が出来た。高規格化された根室本線は池田までと違い、ほとんど揺れない。

札内からは帯広の住宅地がつづく。札内川を渡って高架橋の上を走れば間もなく帯広である。1229高架になった帯広駅の2番線に到着した。この列車は滝川行だが、ふるさと銀河線からの車両は、ここ帯広で切り離される。

 

≪ 第2章 北見まで ―冬のオーツク海

第4章 池田まで ―帯広を歩く 

PUPUPUKAYAの鉄道旅行記