張碓駅への道


 

 

 

正式名称「張碓臨時乗降場」明治38108日開業。1990年に旅客駅から海水浴シーズンのみ営業の臨時乗降場へ格下げになる。

 

この駅の最後の営業は19978月である。現在列車は1本も止まらないが、時刻表や地図には存在している不思議な駅である。

 

銭函・朝里間の列車に乗っていると、ほんの一瞬張碓駅を見ることが出来る。

2003年9月のある日、線路を歩かずに張碓駅に行けないかどうか訪問してみた

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

張碓の駅名標

 

 

 


 

国道5号線のJRバス「朝里不動尊前」というバス停付近から歩いて山道に入る。乗用車1台がやっと通れるくらいの細い山道は曲がりくねりながら、崖下に下りてゆく。坂を下りきったところが函館本線張碓トンネルの小樽側出口の上だった。

 

 

落石覆いがあった。

かつてはこの道路も頻繁に利用されていたのだろうか。

 

   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

張碓トンネルの小樽側

 

 

 

線路と海岸との間に建つ番屋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

採石場の工場跡らしき建物



 

ここからはそびえ立つ崖の下を通る。岩肌に押しつぶされそうだ。崖下をしばらく進むと少し広い場所があり、採石場の廃屋がある。

ゲートが閉まっており車はここまでである。

 

ゲートの手前でJRトンネルの上を通り、駅に向かう道と、浜のほうに向かう道が分岐している。浜に向かう道の先には番屋らしき建物があり、番屋の周辺はきれいになっており、ここへは人の出入りはあるようだ。

 

道はさらに続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小樽側を振り返る

 

 

船着場もある

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつては海水浴場だった石浜

 


 

ここから先は瓦礫の山のような光景になる。大正時代まではこの海岸線のみちが国道5号線だったそうだ。

今はだいぶ崩れているが、かつて建物があったような石垣や船着場なども残っている。昔はたくさん人が住んでいたのだろうか。

 

駅が見えてきた。トンネル出口の少し手前で道は途切れる。トンネルの脇に1台の重機が棄てられていた。

ここから駅まで100mくらいある。道がないので線路を歩くほかないのだが、それはするわけには行かない。

防波堤の上を行こうかと迷ったが、危ないので防波堤下の波打ち際を歩く。海岸からホームへの梯子を登ってやっとホームに着いた。

 

 

小樽側から長いホームを見る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

札幌側から

 

 


駅舎は大正時代か昭和のはじめ頃の建物だろうか。板が打ち付けられ、もう使用されていないようだ。

当然ながら跨線橋も踏切もないので駅舎には近づけない。

 

←駅裏の滝  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駅舎正面 裏側に出入り口は無い→

 

 

←もう見る人もいない義経隧道碑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

板が打ちつけられ使用していない様子→

 


 

大幹線のJR函館本線であるが停まる列車は1本もない。列車ならば札幌まで僅か30分ほどだが、人は近づけないゴーストタウン、まさに秘境駅である。

 

結構列車が通過する。どの列車も長い警笛を鳴らしてくる。

ホームに立っているだけなのだが見慣れない人影に警戒しているのだろう。数年前には死亡事故もあったらしい。

 

快速エアポートがやってきた。何回も警笛を鳴らしてライトを点滅させ徐行して通過して行った。

あまり長居しないほうがよさそうだ。また、来た道を歩いて引き返した。(おわり)

 


 

追記 張碓駅その後

 

長らく休止状態の駅だったが、2006318日に正式に廃止となり、駅舎とホームもいつの間にか解体・撤去されていた。

昔は中線があった関係で上下線が広がっているのと、通信関係らしい施設が駅の名残りである。駅舎の脇にあった「義経隧道碑」と機関車の鐘はそのまま残されている。

 

↑車内から見た張碓駅跡。

 

筆者が張碓駅に降り立ったのは1992年の夏のこと。当時すでに臨時駅となっていて、海水浴シーズンのみ1日3本の列車だけが停車していた。

同じく降りた数人の海水浴客はすぐに海岸へと降りていった。目の前にそびえたつ崖とホームの滝が印象的で、本当に駅からはどこにも行けないことに驚いた。

 

木造の駅舎は開放されていたが、窓口のガラスは割れ、荒れ放題だった。「列車間合い」などと書かれた札が散乱していて、駅舎は保線基地として使用されていたようだ。

夕方までここで時間をつぶす羽目になった人の恨み言の落書きなんかもあった。

 

数十分の滞在で折り返しの列車があってそれに乗った。車内で張碓→札幌のきっぷを買った。今考えると貴重なきっぷだった。

 


 

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